近所に、父の親戚筋というAさん夫婦が住んでいた。
女性と縁遠いAさんを心配した親戚が、Aさんの遠縁という女性を紹介して結婚した。
なので、ご近所には、私たち一家も含め、お互いの親戚が多く住んでいた。
非常に仲むつまじい夫婦で、やがてA君も生まれると、3人でニコニコと出かける姿をよく見かけた。
A君が小学校高学年の頃、旦那さんが倒れ、A君の制服姿を見れぬまま亡くなってしまった。
奥さんは随分沈みこんだが、A君の成長を見届けられなかった旦那さんの分までと、一生懸命働き、ご近所づきあいやA君の学校役員など積極的にこなしていった。
高校受験を終えた直後
しかし、その奥さんも急逝。A君が高校受験を終えた直後だった。
仕事場で倒れ、1週間ほど植物状態だったが、意識が戻らぬまま亡くなってしまった。
私も通夜に行ったが、喪主として詰め襟姿で座るA君が本当に痛ましかった。
通夜振る舞いの席で、一緒にいた近所のおばさんが独り言にしては大きな声でA君の背中に言った。
おばさんが独り言
「A君もねぇ。まだ親が必要な年よねぇ。親だったら、死んでなるものかって、なるものでしょうに。A奥さんも、子不幸なことよね、息子より旦那ってことかしら。信じられないわ。私だったら、死んでも死にきれない」
しんと静まりかえる会場。呆然と振り返るA君。おばさんは、まるで良い同情の言葉をかけてやったと言わんばかりの満足げな顔。
「あんた!何てこと言うんだ!」という父に、おばさんはなぜ怒られたのか分からないという風。
母が声をかけた
無言でうつむくA君に、私の母が声をかけた。
「お母さんは、またA君に会いたかったに決まってるじゃない。だから、苦しい中、1週間も頑張れたのよ。A君が心配だったに決まってるじゃない。だから、苦しい中、1週間も頑張れたのよ。でも、今日のA君の立派な姿を見て、お母さん、安心したと思うわ。私ならそうよ。A君のお母さんでよかったって、そう思ってると思うわ」
泣いてはいけないと、気が張っていたんだろうか。喪主の挨拶も立派にこなしていたA君大号泣。
おばさんはその間に強制退場。おばさんの夫が後日近所にお詫び行脚してた。
母の台詞はもっと胸に染み入る感じだったんだけど、私も動揺してたのでうろ覚え。
ただ、一週間
「も」頑張った、という言い回しだけは覚えてる。
A君は、近所に住んでいる中で一番親しかった親戚一家に後見人となってもらい、元気に自宅から通学。
その家に、今度の春、大学で出会った奥さんと住むそうなので書き込みしました。
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