島原一揆の折、戦場に軍目付が派遣されることになった。
徳川の侍たちは、
「歴戦の侍が目付として派遣されるだろう」と予想したが、実際に派遣された目付は若い侍であった。
大久保彦左衛門ら古老の武士は、
「こんなガキが目付とは世も末じゃ。何を仕出かすか分かったもんじゃない。座敷の上と戦場は全く違うのが分かっとらんからな。」と大声で嘲笑った。
それを聞いた新任の軍目付と彦左衛門が口論となり、酒井忠朝が仲裁に入った。
まず忠朝は、
「貴様が軍目付を拝命したのは、幕閣のお歴々が評議の上決定したこと。彦左の言葉は気にするなよ。」と軍目付をなだめた。
次に、忠朝は彦左衛門にこう言った。
「あなたは老功ゆえに周りが甘いからと言って、ずいぶん言いたい放題ですな。『若いから』と言う理由で抜擢することを止めれば、若い侍は手柄を挙げる機会が全くありません。たしか、彦左衛門様はガキだった16歳の初陣の際に敵城に一番乗りして手柄を挙げたと聞きます。かの軍目付に対する批判はご自身にはあてはまらないのですか?」
これには彦左衛門も答えようがなく、
「いや〜近頃の若い者は理屈がうまいわ。恐ろし恐ろし。」と冗談まじりに返すのがやっとであった。
彦左衛門にとって(ばつの)悪い話(翁草)
コメント